鉋の糸裏・鑿のベタ裏
と良く言われます。刃物の裏刃の仕立ての要領の格言です。要するに、裏すきと呼ばれる部分をどう処理するかという問題です。これには、現状では不都合と思われる面もあります。実際の作業という点から再検討してみます。
ここで、挙げた
鉋の糸裏
というのは、本来鉋が一枚刃であった時の格言のようです。その意味するものは、下記の通りです。鉋の台の下端の修正をしたことのある人、特に一枚刃鉋の仕込をしたことのある人なら、特に解説を加えなくても良くお分かりだと思います。
一枚刃鉋の場合、刃口を極力狭くしておかなくては逆目を削る事が出来ない。台の下端を修正しても刃口が広がらないように、木端返しと鉋身の仕込角度を同じ(平行)にしておく。そうすると、裏刃との摩擦で鉋屑がつまりやすくなり、削る抵抗も大きくなる。裏を糸裏にしておけば、裏すきにより鉋屑の排出の角度が確保され、抵抗も少なくなる。この裏の糸の部分が細ければ細いほど、切削抵抗が減り美しい削り肌が得られる。
こうした機能的な意味とは別に、糸裏状態を維持しておくことで、刃物の命とも言える刃裏の平面を保ちやすくなるという効果があります。
砥石の記事でも触れましたが(砥石の話・研ぎの基本)、研ぎ、したがって刃物の切れを得るにはその裏も表も平面を維持することが基本です。とりわけ裏刃は重要で、その基準になるものです。鉋のように幅の広い刃物の場合、裏刃全体をベタ裏状態にしてしまうと、その平面状態を研ぎを繰り返しながら維持するのはたいへんです。なるだけ裏すきを大きく取る、すなわち糸裏状態とすることで、その疑似平面とも言える面積が極小となり、研ぎの抵抗も減りその平面性に維持も容易になります。鉋の糸裏
には、こうした実用的な大きな利点もあります。
二枚刃鉋の場合は、裏金とか押さえと呼ばれるものを、刃裏に密着させる必要がああります。逆にその際に刃裏と裏金の間に隙間が出来ると、そこに鉋屑が詰まり、削れなくなる恐れがあります。したがって、糸裏ではかえって不都合となりかねません。裏金を逆目が止まる程度に控えて必着させるための幅が必要となります。必要以上に裏金を刃先に近付け効かせ過ぎると、削りが重くなるのです。そのためには、紐程度の裏が必要になります。
結論を言うと、一枚鉋の時代は必須であった鉋の糸裏は、現代の二枚刃鉋には不都合な点もあり、紐裏つまりは、刃先線から五厘〜一分(1.5mm〜3.0mm)程度の幅で裏を作っておくのが現実的には妥当なところでしょう。
鑿の場合、鉋とは少し事情が異なります。
画像は、下の写真の一寸二分(36mm)の鑿を、アガチスという柔らかい材に打ち込んだ時のものです。左は、鑿を一回で深く叩き込んだ様子です。下の白書による墨線を基準にして見ると、真ん中の部分が膨らんで凸状になっているのが分かると思います。画像をクリックして拡大(1200px*267px)してご覧頂くと、よりハッキリ分かると思います。強く深く叩き込むことにより、材が押され、隙も含めた刃裏の形に変形したのです。これを嫌うために、鑿の場合刃先だけでなく刃裏全体を平面に、すなわちベタ裏状態にしておけと言う事だと思います。
また、鉋に比べて幅の狭いものの多い鑿の場合、ベタ裏状態にしてしまっても、刃裏の平面維持はそう困難ではあるまいと言う事でしょう。
私は、鑿であってもベタ裏にするのが嫌いです。鉋ほどではないにしても、やはりベタ裏にしてしまうと、その平面を維持する・したがってその本来の切味を維持するのが困難になります。地金と鋼の鍛接、裏隙という日本の伝統刃物の優れた特徴の一つを潰してしまうことになります。見た目もだらしなく、そんな道具で良い仕事が出来るような気がしないのです。
実際に穴を穿つ場合でも、上の画像の右のように、基本通り細かく材の繊維を切断するように鑿を運んでいけば、仕上げの面が変形することはありません。実用上は、一厘(0.3mm)程度の仕上げシロを残して、最後にそれを慎重に削り落とせば、全く問題はありません。
では、どうしているかと言うと、私は鑿も鉋と同じように裏が切れたら、叩いて裏を出します。特に、一寸以上の刃幅の鑿については、鉋と同じ感覚で研ぎ手入れしています。下の写真は、私が普段使っている左から幅一寸四分(42mm)、一寸二分(36mm)、一寸(30mm)の鑿です。
上の表側の写真を見て頂くと、
下の写真を見ると、次第に鉋の刃裏のような状態になっているのが分かるでしょう。真ん中の一寸二分の鑿など、この図ですと裏切れしているようにも見えますが、立派な紐裏状態です。さらに拡大した画像をつけます。
裏出しの仕方は、鉋と基本的に同じです。鉋と比べて鋼が厚く、しかも地金を巻くような形で鍛接されいますので、より強く叩き出す必要があります。叩く場所もあまり神経質になる必要はありません。鉋に比べてより地金に近い部分、すなわち鎬の所を中心にガンガン叩けばよろしい。どの程度の叩き方か言葉で表現するのは難しいのですが、下の画像であらましを想定してください。
さて、この鑿の裏を叩いて修正するという作業は、裏切れの場合もそうですが、実は買ったばかりの道具の仕込に役に立ちます。
あまり言いたくないのですが、買ったばかりの鑿、特に三木の物の状態はひどいものです。切れ刃の研ぎ角は20度ほどで、そのままではとうてい使い物になりません。裏はダレた凸状態で、そのままでは真ん中しか砥石に当たりません。肝心の端の耳に近い部分に刃がつきません。無理に裏を押し直すと、たちまちベタ裏状態になってしまいます。こうした状態を修正するために、耳に近い地金の端の部分を叩いて、裏を修正してから改めて裏を押すようにしています。思ったより簡単に修正できます。
まあ、昔の職人は青刃といわれる状態で刃物を仕入れ、裏押しはもちろん鑿の場合なら口金から柄入れまで自分でやったそうですから、自分の道具ならこの程度の手間をかけるのは当たり前でしょう。
2005年8月29日