私は、アマチュア時代から道具が好きで、今でも同業者のなかでも、比較的たくさん道具を所有している方だと思います。ただし、それらの道具のうち、新品の物を正規に購入したものはほとんどありません。金物屋の店頭で、置き古されたものを安く譲ってもらったり、大阪の四天王寺や京都の東寺のガラクタ市で見つけたもの、また、大型ごみとして捨てられていたものもあります。それらの古い、あるいは中古の道具ばかりを使っているのは、いくつかの理由がありますが、何より使いやすいからです。
写真は、今私が愛用している鑿です。手前から、六分(24ミリ)・四分(12ミリ)・三分(9ミリ)の鑿です。いずれも、日常よく使うサイズのものです。楢とか栗といった材に穴をあける時、これらの鑿は多少手荒に使っても、玄翁で柄を叩いた分だけしっかりと反応して、材を穿ってくれるような小気味良さを感じる事が出来ます。写真を拡大して見て頂くと分かると思いますが、今頃、道具屋で売られている
同じサイズの、新しい追入鑿も私は持っていますが、それらはそうはいかないのです。玄翁の重みや叩いた力の何割かは、どこかへ逃げてしまうような頼りなさを感じ、実際に作業の能率も上がりません。特に、見かけ重視のためか下手に赤樫やグミで作られた柄の場合それが感じられます。そうしたものは、時に玄翁が柄に弾かれる様な状態になる事もあり、安全上からも好ましくありません。ゴツク作られた
なぜ、こんな鑿ばかりになってしまったのでしょう。道具屋や鍛冶屋が悪い?そうではなくて、むしろ我々使い手の問題なのだと思います。今は、大工にしろ、建具屋や家具屋にしろ、鑿を使って穴を穿つなどという事は、ほとんどしなくなったのでしょう。鑿の主な用途は、材の面を取ったり、ちょっとした修正を加えたりという事になっていると思われます。そうすると、その形状も強い玄翁の圧力を受け止めて伝えるというより、軽く振り回せる様な華奢なものが好まれるようになり、しだいに、そうしたものしか無くなってしまったと言う事だと思われます。市販されている鑿の付けられた研ぎ角を見ると、ほとんど20度くらいになっています。切出やカッターナイフ替わりに、ちょこっと材を削るなら、それくらいの方が良く切れると思わせて好都合でしょう。しかし、たとえ桧や杉といった針葉樹相手でも、あれでは叩いて使うのは無理でしょう。たちまち刃毀れを起こし、下手をすると耳と言われる角の部分が欠けてしまうでしょう。まして、家具用の広葉樹で使うのは絶対に無理です。
写真の3本の鑿の研ぎ角を計ってみたら、35度から38度くらいありました(写真)。これくらいですと、1日使っても、刃先がかすかに白くなるくらいで、刃毀れなどは生じません。使っては研ぎを繰り返すうちに、強度と切味の丁度バランスしたこれくらいの角度に、自然となったのだと思います。経験的に言うと、30度以下では、広葉樹を相手にする場合使い物にならないように思います。
それと、本来の用途を失い、惰性でその形状だけ受け継いだ道具というのは美しくありません。これは多分に私の思い入れが過ぎるのかもしれませんが、今、愛用している古い鑿の写真を再度載せておきます。古びても、用に徹した姿で作られ、現に使われている道具というのは、本当に美しいものだと思います。
2002年11月20日、工房日誌に掲載