トチの樹というのも私の大好きな樹です。ただこれも、木工の材料としてではなく、生きた樹として好きなのです。
トチは、昔から人間の生活に深く関わって来ました。初夏の頃には白地に淡い紅を散らしたとても上品な花をつけます。トチは、高木で花も樹上の高いところに着けるので、なかなか直接間近に目にすることはできないのですが、本当にきれいな花です。昔は、養蜂家の人達がこのトチの花の蜜を求めて、全国を蜂と共に旅をしていました。蜂蜜も今はほとんどが輸入品らしいのですが、私達が子どもの頃、口にしたものの中には、このトチの蜜が含まれていたはずです。また、トチの実は、山の人達の貴重な食糧源として利用されて来ました。トチの実は、軟らかい外皮の中に、2〜3粒入っていますが、その外観は御菓子の栗饅頭のようなかわいらしいものです。思わずそのままほおばりたくなるくらいですが、実には、サボニンという強烈なアクが、含まれていて、そのままでは絶対に食べれません。私も、何度かこのトチの実を拾って帰って、アク抜きを試みましたが、うまくいきませんでした。あるとき、山でお会いした御年寄りにそのことを話すと、トチのアク抜きは藁灰では無理だ、木灰それも硬木の灰でないとダメだと教えてもらいました。
関西で、今私達が目にすることの出来る大径木と言えば、この山のトチかサワグルミ、里山のクスくらいになってしまったような気がします。山のトチが、残されてきたのは、ひとつはその花や実が山の人の生活に結び付いてきたからでしょう。でも、もうひとつの点として、トチが用材としてはあまり価値がなかったからではないかと思います。トチの木は材としては、軟らかく、腐りやすく、特に水に弱いため建築材としては使えないでしょう。また、トチは大径の高木になりますが、山で目にするものは多くはウロと呼ばれる大きな空洞が出来ていたり、大きな枝が地表近くから張り出していたりしていて、ケヤキやミズナラのように通直な材の取れそうなものはありません。実際に製材されたものを見ても、大きく入皮が入っていたり、フケとかクサレと言われる青い筋が入ったものがほとんどです。ですから、鉢や器や縮み杢を使った小さな工芸品くらいにしか、昔は使われていなかったようです。今、材木市に行くとたくさんのトチの丸太や板が出ています。と言うか、大径木と言えばトチくらいしかないといった感じです。
たぶん、ジョージ・ナカシマという人の作品が日本に紹介されてからでしょうが、本来、材としては「瑕」とされていたものまでが自然の造形として扱われるようになりました。確かに、そうした材料を使ってちゃんと手を掛けて立派な家具を作っている人もたくさんいます。私なども、そうしたナカシマさんの影響で木工を始めて、それなりの市場を作ってきた人達の末席に居ることで仕事をさせてもらっているとも自覚はしています。でも、一方でナカシマさんの亜流の亜流に、ログハウス的な粗雑な木材加工を合体させたようなシロモノが、作られているような気がします。私にはそれが木の死骸が曝されているようにしか見えない時があります。
需要があるから、トチのような木までが伐られるのか、あるいは、供給があるから使われるのかそのあたりのことは良く分かりません。少し前までは、ハリギリ(セン)が、大径木として良く出回っていたそうです。これも、かつてはケヤキの代用品としてひっそり使われていたものです。養蜂を生業とする人も少なくなって、トチ餅も土産物になって、大きなトチの木も刈られ尽くすと、次はサワグルミや里山のクスが伐られて使われるようになるのかもしれません。
2000年10月、京都府美山町にて撮影