ページの先頭 直接本文へ
ホーム(J)    >    その他の過去の記事    =    ▲ 前       ▼ 次   

ワールドカップ雑感

2002年、日本と韓国で共同開催されたサッカーのワールドカップのテレビ観戦記です。

ベスト16は、出来すぎ!

破れたトルコ戦の後、解説の岡田前監督が、フィジカルを除いて全ての面で勝っていた相手に負けたことについて、納得ができないと言っていた。そんなことはない。あれが今の、日本の実力だと思う。むしろ、選手は実力以上によくやったと思う。

押しながら、負けた原因は、はっきりしている。西沢は、全くフリーのヘディングシュートを、横を向きながら首をひねって、ゴールキーパーの正面に、しかも、一番取りやすい顔の高さに打った。ドイツの選手は、皆、体をゴールへ正対させて、ゴールラインに叩き付けるようにヘディングしている。だから、ゴールキーパーの正面でも入る。チュニジア戦の、中田英のゴールはそうだったし、ポストに当たった森島のシュートもそうだった。森島は、相手選手を振り切りながら、空中で体をひねって前を向きながら地面に向けてヘディングしていた。それが、フォワードの選手が出来ない。普段からちゃんと練習していないからだろう。それでも、Jリーグでは通用し、代表選手にもなれる。

鈴木も、フリーで受けたクロスを、トラップミスで、シュートすら出来なかった。ロナウドや、ラウルや、オーエンは、ワントラップで、相手を置き去りにして、シュートの体制に入るスピードとテクニックがある。彼らは、守備などほとんどしないが、ゴール前のそうした一瞬のプレーで点を取り、結果的にチームに貢献する。鈴木などは、献身的に守備もし、ポストとしても頑張ったと思うが、結局これが出来るトップの選手がいなかった。こうした点は、運不運の問題でなく、まして「日の丸」云々の精神論でもなく、はっきりと技術的な問題だし、それでもトップとしてやれる日本のサッカー全体のレベルの問題だ。

今は悔しさで、頭が一杯だろうが、こうした事を、冷静に分析しないで、「夢をありがとう」だの、ラモス流の無内容な精神論と、結果解釈の采配批判でお茶をにごしていたら、次は本大会への予選通過すらあぶない。メキシコ五輪後の二の舞になる。

軍隊サッカーがまだ続く?

日本開催のおかげで、テレビだが、久しぶりに、サッカーをたくさんまとめて見ることができた。面白いサッカーをするチームは、次々負けていき、勝つのはドイツのようなつまらいサッカーをするところばかりだ。テレビでは、分からないが、Jリーグの試合でも実際に見ると、今のサッカーはせせこましくてつまらない。ハーフラインを挟んで、30メートルくらいの間に、両チームの20人のプレイアーが固まって潰しあいをする。それも90分最後までは続かないから、残り20分くらいの間にラインがだれてきたところでゲームが動く。が、双方、体力を消耗しているので華麗な見事なプレーではなく、ミスで決まる。

つまり、相手の長所を殺す肉体的消耗戦をしかけ、早く潰れた方が負けというサッカーだ。当然、個性や創造性よりも、均質で、無個性で、作戦に従順な肉体を集めたチームが勝つ。今、振り返ると、70年代が一つの分岐点だったように思う。当時、「トータル・フットボール」を掲げたオランダの攻撃サッカーは本当に面白かった。どこからでも、様々な選手が自由に動き回って攻撃する。見ていて、楽しかったし、選手もゲームを楽しんでいるかのようであった。が、結局オランダは勝てなかった。2大会連続で決勝で負けた。勝ったのは、いずれも開催地のドイツとアルゼンチンだった。ドイツは今も続く軍隊サッカーだし、当時軍政下のアルゼンチンは軍隊サッカーにラフプレーという暴力を加えたファシズムサッカーだった。

当時の、ポーランドのサッカーも面白かった。スタンドに当時は反体制勢力であった自主労組「連帯」の旗が掲げられる中、ポーランドの選手は、実に軽やかにドリブルで攻めた。全ての選手が速く、巧みで、反撃になると次から次へと駆け上がってきた。大会前に、ポーランドと日本との試合を見て、当時のサッカーの陰も形もない、蹴り合いの武骨なサッカーを見て本当にがっかりした。

ジャイッチ率いる当時のユーゴスラビアのオーソドックスなサッカーも、サッカー本来の面白さを見せてくれていた。思えば、ジャイッチというのは、華麗でオーソドックスな、最後のウイングプレイアーだった気がする(今の若い人には、「ウイング」と言っても分からないかもしれない)。

80年代のブラジルや、フランスのサッカーも面白かった。が、やはり勝てなかった。個性やゲームとしての面白さより、結局、勝負として勝つための没個性な軍隊サッカーが主流になった。今大会も、ポルトガルやラフプレーを止めて、攻撃サッカーに変身したアルゼンチンや、南アフリカが早々と姿を消してつまらなくなった。予選では、見た範囲ではスペインと南アフリカの試合が、フェアで一番楽しかった。残る希望は、スペインとセネガルである。

2002年6月18日

▲ ページの先頭へ・(L)

代表チーム・国歌・国籍

日本対チュニジアの、グループリーグ最終戦、石原東京都知事は勤務時間内のテレビ観戦を許可したとのこと。曰く、「民族とか国家を考えるいい機会だ。」自身も、試合時間中の業務及び面接などを断るよう指示したそうだ。

しかし、元自民党青嵐会のこの御仁は、日本の代表チームが、フランス代表のようにその半数以上が、たとえばブラジルや、イランなどの出身者やその子弟で構成されていたら、同じことを言っただろうか。逆に、フランス国民戦線のルペンのように、あんなのは日本の代表ではないと言うに違いない。今回の、日本代表には、帰化して日本国籍を取得したアレックスがいた。前回の代表には、ロペスもいた。その前には、ラモスがいたし、古くは、我々の少年時代のあこがれ、ネルソン吉村がいた。彼らが、サッカーの日本代表に選ばれる事に、私自身は何の違和感もない。国籍云々に関係なくだ。

ラグビーのように、その協会に所属するチームに一定期間所属した選手は、その協会の地域の代表に入る事が出来るようにすべきだと思う。もし、そうなればイタリアとかスペインの代表が強くなり過ぎる。また、グローバリズムの極端にすすんだサッカービジネスの世界で、4年に一度、自国出身の選手が戻ってきて、集まって戦うといのが、優秀な選手をヨーロッパに取られ続ける南米やアフリカの人々に対するガス抜きになっているのかもしれない。それならば、出身地か現所属地域か、いずれの代表になるかの選択権を選手に与えれば良いと思う。そうであれば、国籍という踏み絵をあえて踏ませることなく、アレックスもロペスも日本代表になれた。また、長らく日本でプレーしたもと鹿島・清水のサントスやアマラオも日本代表になれた。その事に、多くの日本のサッカーファンは、なんら違和感はないと思う。サントスなどは鹿島のキャプテンを勤ていたし、国家だの国籍だのではなく、彼らも含めて、現在の日本のサッカーがあるのだから、むしろそちらの方が自然だと思う。逆に、中田英が、イタリアの代表になっても仕方ない。現に彼はもう、4年間も日本でプレーしていないのだから。

そうなれば、国歌や国旗も止めて、その協会の旗と歌を掲げる。それならば、他の地域の出身選手も自らの立場に悩むことはないだろう。あの、日本協会のカラスのマークはとても良いデザインで、昔から好きであった。私は、サッカーの日本代表と言うとき、日の丸よりもあのカラスマークの方が、はるかにしっくりとくるし、少年時代のあこがれも含めた愛着もある。

日本が負けて、韓国が勝ったから、これは半分以上はヒガミで言う。あのイタリア戦のスタジアムの雰囲気は異常である。多かれ少なかれ、日本も同じであったが、それにしても、もはやあれはスポーツ観戦の域をはるかに越えている。解説のセルジオ越後などは、興奮して絶賛していたが、少しこわいものを感じてしまった。それは、日本の状況も同じだが、トルコ戦の当日、試合時間の前に工房の隣の小学生の子供は、いつものように友だちと遊びに出た。実家の父は、犬の散歩に出かけた。マスコミが、そろって快挙だ夢がどうのと言っている時に、関係なく日常を続ける無関心があった方が、健全だと思う。もちろん、韓国にも、イタリアにも、ブラジルのもそういうふうに暮している人はたくさんいるはずだ。

2002年6月19日

▲ ページの先頭へ・(L)

森島!森島!森島!

今大会の、日本代表のプレーで、一番興奮したのは、チュニジア戦の森島のゴールだ。彼は、インタビューで、たまたまボールが前に来たので、思い切り蹴っただけと言っていたが、そんなことはない。彼一流の謙遜だ。ビデオで見ると良く分かるが、鈴木へのパスが出たとき、森島は相手ディフェンスの背後から、さっと前に出ていた。おそらく、無理なパスだと分かっていたはずだが、あらゆる可能性を考えて、忠実にポジションを取った。そこに、相手のクリアボールが来た。

それに、少しでもサッカーをやったことのある人なら分かるだろうが、真横から来たボールを、体勢を崩さず、振り抜くというのはとても難しいことなのだ。だから、あのゴールは森島の労をいとわない活動量と、ボディバランスの良さが発揮されたすばらしい、彼ならではのプレーだった。

森島は、前回のフランス大会の予選、アウェイのウズベキスタン戦で、相手ゴールキーパとの一対一をはずしてから、代表のレギュラーから外れた。代わって、若い中田英が登場したように記憶している。それから、代表の試合に出ると、妙に回りに遠慮しているように見える。若いときや、セレッソの試合の時は、もっと強引に自分でドリブルで仕掛けているのに、代表の時は、パスのコースばかり探しているようだ。トルコ戦の最後、ドリブルで仕掛けて、相手の反則からフリーキックを得た時のように、もっと自分のスピードを生かしていたらと残念でならない。

森島の活動量というのは、実際にスタンドで見るとすさまじい。普通は、あまり長い距離を走ると、その後、ゴール前でのチャンスの時、少しの踏ん張りがきかなかったり、一瞬の判断やスピード、瞬発力が落ちたりする。日本の選手や、多くのアジアの選手が、チャンスに大きく枠をはずしたり、トラップをミスするのは、そうした場合だ。だから、ロナウドやオーウェンやラウルは、必要以上に動かない。日本の柳沢も、あんなに守備に動き廻らなかったら、後ろからのパスを反転して受けて、相手を置いていくような彼の良さが生かせたと思う。森島のすごいところは、長い距離を走った後でも、ゴール前での集中力や、速さ、踏ん張りが持続することだ。それが出来るのは、残念ながら彼の他には日本では中田英だけだ。いや、稲本もやれていた。森島の場合、全試合時間中それを続けられる。

今回の大会で、韓国のチームと比べて残念なのは、日本のサッカーのスタイルが見えなかったことだ。森島は、年齢からいってワールドカップは今回が最後だろうし、代表にも今後選ばれないかもしれない。でも、小さな森島のプレーのスタイル、それを支える普段の練習とか考え方などから、外国のまねではない日本のサッカーの独自のスタイルが作れるのではないかと思う。

2002年6月20日

▲ ページの先頭へ・(L)

XHTML1.0検証済 CSS検証済 Another HTML-lintで検証済

ホーム(J)    >    その他の過去の記事    =    ▲ 前       ▼ 次   
roktal@d6.dion.ne.jp